慶応2年5月2日、社中が薩摩藩から借り受け商売をする筈だった帆船ワイルウェフ号は、上五島潮合崎で破船し、沈没してしまいます。龍馬が弟のようにかわいがっていた池内蔵太、黒木小太郎など12名が命を落としました。その知らせを龍馬は薩摩で聞き、嘆き悲しみます。
その後、長崎へ立ち寄った龍馬は6月、社中の仲間達と共に潮合崎へ出かけました。供養塔建立の依頼のためです。先日、新上五島町潮合崎の崖の上に、海に向かって合掌する龍馬の像が建てられました。風頭公園の龍馬像の作者山崎和國氏の作品です。
「まっこと美しい海じゃった。土佐の海と同じ色をしちょったがぜよ......」
龍馬が言った通り、穏やかな日の潮合崎の海はとても美しい。しかし、一度機嫌を損ねると、荒れ狂う波は白煙を上げて砂岩の絶壁に打ち寄せ砕けます。私が訪れた日もちょうどそんな日でした。これならば遭難も無理はないと納得したものです。
その際、積荷や遺体の引き揚げ作業を指揮したのは、五島藩家老白濱久太夫でした。迅速かつ的確誠実な仕事ぶりは薩摩藩から非常に感謝されたとのこと。小藩五島藩としては大藩薩摩に恩を売る事で生き残りを賭けたのかも知れません。比留木忠治著「ある偶然」(文芸社)にその事が書かれていました。
ところで、ワイルウェフ号とお龍さんとの関係は? お龍さんが長崎に滞在していた8ヶ月の間、社中は運用する船を亡くし経営の危機に陥っていました。その発端がワイルウェフ号の遭難なのです。その後ユニオン号も長州藩に返還し、10月購入した太極丸も船価未払いで運航差し止めになり悩み多い龍馬でした。暇を出そうにも出て行かぬ仲間たち。落ち込む龍馬を精神的に支えたのは妻であるお龍さんです。
「困った時こそ皆で辛抱して助け合うとけば、きっと先でええ時が来ます」
と龍馬を励ましました。11月、龍馬が五代才助からの依頼で斡旋した馬関商社も、薩長同盟のようにはうまく行きませんでした。結局は長州藩が反対し、不成立に終ったのです。龍馬は薩摩藩に大きな借りを作ってしまいました。
もしワイルウェフ号遭難から続く一連の不運な事件がなかったら......。
仇敵後藤象二郎との清風亭会談、海援隊、そして大政奉還へと道が続いていたでしょうか?
そんな事も考えてしまいます。

第11話「お龍さんの驚き精霊流し編」へ。