ある日、高松太郎が社中の台所で夕食用の魚をさばいていると、外出した龍馬が帰ってきた。
「太郎、今夜のおかずは何じゃ」
「叔父貴の好きな刺身ぜよ」早速龍馬は味見をしたあと、こう切り出した。
「おまん、長崎名物のカステイラを知っちゅうか」
「知っちゅうが、まだ食ったことはない」
「そのカステイラを社中で売ってはどうかの。
京や大坂に船で運べば、いいもうけになるじゃろう」
「それはどこから仕入れるんかや」
「むろん、わしらで焼くのよ。
彦馬さんの紹介で、磨屋町の梅寿軒さんに教えてもらう手はずじゃ」
長崎名物のひとつにあげられる銘菓「カステラ」は、
戦国時代にポルトガル人がその製法を日本に伝え、広く作られることになったと言われています。
特に長崎のカステラは、輸入物の砂糖をふんだんに使い美味であったことから、
長崎土産として人々に喜ばれていたそうです。
龍馬らが押し掛けた梅寿軒というのは天保元年創業の老舗の菓子舗で、
現在に至るまで長崎和菓子の伝統を守り伝えています。
特に、限定製造されるカステラは昔ながらの味で、知る人ぞ知る名品です。
さて、梅寿軒にやってきた龍馬と高松は主人と一緒にカステラづくりを始めました。
「ご主人、カステイラの材料はどんなもんかのう」
「まず玉子を百目、うどん粉(小麦粉)を七十目、そして白砂糖を百目、
これを混ぜ合わせてよく焼かんばとです。
こいは昔からうちに伝わるオランダ流の製法ですたい」
「なるほど、太郎よ、忘れんように書き付けとおせ」

龍馬のカステラ修行は、その後もしばらく続いたかどうかは定かではありません。
いつも政治活動に東奔西走していた龍馬のことですから、カステラばかりにかまけてはいられなかったでしょう。
ただ、高松太郎が書いたとされる『雄魂姓名録』の中に、
「カステイラ仕様」として次のような記述が残されています。
「正味 玉子百目 うどん七十目 さとふ百目
此ヲ合テヤク也 和蘭実方」。