長崎龍馬通りホーム > でんでら龍と長崎乙女 > 幕末の志士 > 長崎で新発見!いろは丸の絵〜国内唯一!

長崎で新発見!いろは丸の絵〜国内唯一!

| コメント(3) | トラックバック(0)

「坂本龍馬に関する新発見の記者発表をする」


ひょんなことから情報を入手し、

長崎歴史民俗資料館の記者発表へ行ったところ...


幕末当時の「いろは丸」の絵が見つかった


とのこと。



えーーーーーーーーーーーーっ!


いろは丸が描かれた絵は、1枚も見つかっていませんでした。

今あるのは、いろは丸の想像図なんだそうです。


発見された絵は、こちら


トップ


この絵は、「白帆注進外国船出入注進」(鍋島報效会微古館蔵)

掲載されている208以上の船の中のひとつで、深堀亀ケ崎沖にいる船を描いています。


本には、

天保15年(1844)〜慶応4年(1868)に長崎港に出入りした船などについての

記録があります。


ただし、この船の絵の中には「いろは丸」という名称の記載はありません。


なぜ、ないのか?

その答え(推測)は、文末をお読みくださいませ。


船名が記載されていなかったからこそ、

今まで発見されなかったのだろうから・・・


この絵の発見経緯について、長崎歴史民俗資料館の永松実館長

現代龍馬学会会員の織田毅氏から説明がありました。


▼展示物の前で解説する織田氏

現代龍馬学会の織田毅氏


7月1日から、長崎歴史民俗資料館で開催されている

「長崎の海と船展」に展示する史料を松永館長が精査していたところ

いろは丸と推定される船を見つけたそうです。

すぐに、織田氏に相談し、3つの根拠を得、いろは丸と確信。

今回の発表に至ったとのことでした。


根拠1

この絵の前ページには、文章が記載されており、

そこに「四国船」との記載があり、10月24日の九ツ比(正午)に長崎港を出帆。

慶応2年との記載はないが、この前後に「長州征伐(第二次)(慶応2年)」の

記載があるため、慶応2年に描かれたものと推定したそうです。


根拠2

絵の中央のマストには、赤地に白の蛇の目の紋が見える。

この紋は、大洲藩主加藤家の家紋。


根拠3

大洲藩がポルトガル商人から船を購入したのが慶応2年6月

(最近発見された契約書より)。

同年9月に大洲藩内の長浜港に着船したあと、

一旦長崎に戻り、11月に長浜港に寄港したという記載が

「いろは丸終始顛末 豊川渉日記抜抄」にあり、時系列的にも合う。


根拠の補足

勝海舟著「海軍歴史」(船譜)には、いろは丸について、以下の記載がある。

----------------------------------------------------------------------------------------

船名/安行丸(後のいろは丸)、船種/蒸気・内車・鉄、長さ/30間、幅/3間

----------------------------------------------------------------------------------------


描かれている絵は、上記の記載のとおり、蒸気・内車で、

黒い部分はおそらく鉄と思われる。黒い碇も描かれている。

幕末の龍馬の時代には、もう外車ではなく内車(スクリュー)が

主になっていたので、時代的にも合う。


いろは丸の絵の拡大


大きさは、観光丸よりも少し小さいくらい。


▼帆船まつりのときに長崎港に停泊する観光丸

長崎港の観光丸



「安行丸」が大洲藩に「いろは丸」と命名される前に、

佐賀藩が絵に描いたため、船名が記載されていないのではないか、


と、織田氏は話していました。


ちなみに、

「白帆注進外国船出入注進」は、長崎の港の警備係だった佐賀藩が

長崎に出入りする船を記録したもので、3冊から成ります。


つい先日行われた帆船まつりで、長崎に寄港していた

観光丸、パラダ、ナジェジュダの絵もこの本に描かれています。


▼観光丸

観光丸


▼ロシア船籍の船(パラダorナジェジュダ?)

オロシャ船



また、薩長同盟のことについても、本の中に

慶応2年5月に薩摩と長州が和睦したという記載があるそうです。


佐賀藩の情報(スパイ?)活動が記録された本のようですね。

佐賀藩だけでなく、いろんな藩から長崎に情報を集めに来ていたはずです。

それだけ、長崎は情報が集まる場所だったのですね。


説明によると、

いろは丸の姿を残している史料は、今のところこれが唯一。


もしかしたら、長崎や佐賀には、まだまだ貴重な史料が残っているかもしれません。


さて、最後になってしまいましたが、

坂本龍馬と海援隊士たちが、いろは丸に乗って

長崎港を出港したのは、この絵が描かれた1年後(慶応3年4月)のこと。


4月23日、紀州藩の明光丸と衝突し、沈没した「いろは丸」は、

今でも鞆の浦の海底に眠っています。


---------------------------------------------------

長崎の海と船展

~海を渡った人・物・情報~

7月1日(木)~8月31日(火)

長崎市歴史民俗資料館

長崎市平野町7-8

入場料/無料

開館時間/9:00~17:00

休館日/月曜日


トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.nagasaki-ryomadori.com/mt/mt-tb.cgi/268

コメント(3)

龍馬ブームで色んな新発見があり、びっくり!!ですね…ハウステンボスの帆船クルーズに乗ってみたいな〜!! 以前に『なんでも鑑定団』で高知編を放送していて 河田小籠の絵画が出てきたとか びっくり!! これから また新たな発見が出てくるといいですね! ワクワク〜〜 昨日の謝りです.すいません ペコリ 陶器は、龍馬伝では、ありませんでした。誠にすいません!! 福山モバイル「日めくりMEMOり 26日 ☆今日の一枚☆で載っています→白と青の陶器に幕末のカステイラを作り出し NHKのスタッフさんが再現してくれました 同じ出身学校 羨ましいな〜〜〜 龍馬屋ひろたかさんも同じ出身学校でファンクラブにも入っているとか‥で 店長日記も読んでいます! 盛り上がった長崎に行きたいな〜 ちっくと遠い((泣))

歴史が苦手なので龍馬伝二回通り観ます→今やっと録画観ました…長次郎さんが皆の所に走ってカステイラ持って来て その お皿幕末のを再現した物じゃあないですか!?

いろんなところから、いろんなものが発見されて、凄いですよね。

前に、勝海舟のドラマが放映されたときは、
勝海舟の長崎妻のおくまさんの墓が発見され、
そこから「銀のかんざし」が見つかったのだそうです。

テレビの力って、すごいですよね。

ところで、カステイラが乗っていた皿、幕末の皿を再現したものかどうか?
わ、わかりません・・・・っ。

ただ、NHKさんは、小道具にも凝っているので、
もしかしたら幕末の再現品かもしれませんね。

コメントする

長崎龍馬通りホーム

長崎龍馬通り
長崎の龍馬情報発信ポータル!

2010年8月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

人気の記事

このブログ記事について

このページは、長崎乙女が2010年7月27日 15:42に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「龍馬たちが引田屋で使った食器かも」です。

次のブログ記事は「長崎の海と船展」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。